永業塾という勉強会をボクは主宰している。札幌、郡山、東京、名古屋、伊丹、そして九州、と合わせて八か所になる。大したことをしているわけじゃない。各業界のリーダーたちが集まり、人生繁盛な生き方を研究しているだけ。商売繁盛、ということばはよく耳にするでしょうが、人生繁盛って初めてじゃないでしょうか。実は、これはボクの造語なんです……。でも、なかなかいいと思いませんか、この人生繁盛。
永業塾という場所は、主に経営者や営業人が多く集まりますが、他に医師や教師、士業、なにかの研究家、セミナー講師、新聞社の編集長、そして変わったのでいうと「講演家」なる、よく分からない輩も紛れ込んでいます。
毎月、この八か所をボクは周っているのだから、月の半分以上は家を空けている。なので家族からは(特に妻は)とても暮らしやすい、とこれがとても好評なんです。
ある夜、旅から戻ると、STVラジオ局から届いた一通のハガキがテーブルの上に置いてあった。
「日高塾 第五期 聴講生としての入塾を認める」
その文面を目にした途端、ボクは四日間の旅の疲れなど吹き飛んでいた。
さて、待ちに待った初日の日、床屋で身嗜みを整え会場へ。
日程は調整済み。というのも、募集の告知があった時点で全授業に参加することが条件でしたから、ボクは合格することを前提に全日程をハナから押さえいました。
ボクが日高塾への入塾を望んだ理由は、晤郎さんから直に色々教われるということ。応募しない方が不思議なくらいです。それに心の隅っこでは、やはり自分のラジオ番組を持ちたい、という幼き頃からの消したくても消えない、そんな炎がくすぶっていたから。ただ、晤郎さんは、それなら自力で登ってこい、日高塾に来たからといって、この舞台は簡単には手には入らないぜ、という気概を強烈に発していました。多分その気迫にほとんどの塾生は怖気づいていましたが……。
ただボクはツイていた。伝説の岩本芳修プロデューサー(晤郎さんを見出し、STVラジオに起用した天才プロデューサー)が糸を垂らしてくれた。芥川龍之介が『蜘蛛の糸』という小説を書いていますが、まさにボクにとって岩本さんは蜘蛛の糸だった。その糸にボクを絡ませてくれた。
「中村君、お昼を食べようか」
と日高塾に通い始めて三ヶ月が過ぎた頃、誘ってくれた。
「後ろから塾生の背中を見ていますが、ひとりだけオーラが違うんです。その理由を確認したくて、あなたを誘いました」
岩本さんはランチの席で、そう切り出してきました。それから二時間の中で、ボクは岩本さんにこう云いました。
「STVラジオで晤郎さんの後を継げるのはボクだけです」
岩本さんは云いました。
「本気でそう思うなら、〇日の〇時に局においで」
指定された日、ラジオブースの中からボクはガラス越しの岩本さんへ向かって、ひとりで喋らされたんです。
二時間も……。
休むことなくく……。
それが、ラジオへの道となる「オーディション」だったんです。