中村信仁 公式ウェブサイト
心が技術を越えない限り、決して技術は生かされない。

つまらないものですが

最近、昔からの習わしや日本古来の文化に対して、後付けの理屈で面白おかしく茶化す風潮が目立つ。

先日も「つまらないものですが……」と、手土産を渡す謙譲語に対して、違う意味を声高に唱える人があらわれたそうだ。

「つまらない」というのは……、
取るに足らないものですが、という意味ではなく、あなたと私の距離がつまらないかもしれないが、一応、これを受け取って欲しい……という意味だとのこと。
にわかには信じ難く、自分なりに調べてみた。

まず、そもそも、この「つまらない」という日本語の語源を調べてみた。

大辞林第三版によると、
つまらない【詰まらない】
( 連語 )
〔動詞「詰まる」の未然形に助動詞「ない」の付いたもの。「つまらぬ」「つまらん」「つまんない」の形も用いられる〕
① 満足感がなくてさびしい。心が楽しくない。 「話し相手がなくて-・ない」
② 興味がもてない。おもしろくない。 「 - ・ない小説」
③ とりあげるだけの価値がない。取るに足りない。下らない。 「 - ・ないものを買ってしまった」 「 - ・ないうわさ」 〔「つまらないものですが」などの形で、相手に贈る品物を謙遜していう場合にも用いられる。「-・ないものですが、召し上がって下さい」〕
④ ばかばかしい。不利益だ。 「盗まれては-・ない」
⑤ 得るところが少ない。するかいがない。 「 - ・ないやせ我慢をしたものだ」
[派生] -なげ ( 形動 ) -なさ ( 名 )

とある。つまり、日本古来の「ことば」文化にある、相手を立てることで無用な争いを避けるための知恵から生まれている。

距離を詰める、とか目の詰まった繊維、とか鼻がつまる、とか下水がつまる……などの意味ではないのです。
あくまでも、相手に贈る品物を謙遜していう場合に用いられるもので、普通の人が普通に考えて使っている従来の用途で間違いないのです。

なぜ、そこに疑問をはさみ、勝手な解釈をつけてくる輩があらわれるのか。

平和な現代人は、なんでもかんでも後から取ってつけたような屁理屈をくっつけて、自分の知恵の宣伝にしてしまうことに薄っぺらさを感じてしまうのは私だけでしょうか。(謙譲語は、その昔、一歩間違えると命のやり取りに発展しかねない武士階級が存在した時代から使われていた、礼儀作法の大切な言葉なのです)

ことばはそのまま文化に結びつきます。
決して言葉遊びで屁理屈を生み出さないことが肝心なのではないでしょうか。
□ なんちゃって講師とか講演家を名乗る「ド阿保」が闊歩する現代……、日本語という文化を軽んじる自称インテリがこの国を壊していくことに黙っているのは苦痛です。
□ 批判覚悟で日本語を守ることを本気で考え、尚且つ行動しなければならないのではないでしょうか。
※講演とは、依頼する相手がいて成り立つもの。自分から講演しますよ、と売り込む「講演家」という者たちはいったい何者なのでしょうか……。

コメントを残す