歌手菅原洋一氏が歌う「今日でお別れ」、同じく歌手で細川たかし氏が歌う「北酒場」、そして黛ジュンが歌う「天使の誘惑」など数々の作詞を手掛け、しかもこの三曲とこれら三人の歌手を日本レコード大賞に導いた作詞家「なかにし礼」氏。
なかにし礼が作詞家になれたのは、下田のホテルで偶然に出会った石原裕次郎に導かれてだった。
新婚旅行でたまたまそのホテルに行くと、そこに映画の撮影で長期逗留していた石原裕次郎たちがいた。
そして、その夜、彼は仲間たちと賭けをしていた。「長く続くカップルを当てよう」と。
当時の下田は新婚旅行で行く町として大ブーム。
その夜も何十組というカップルが石原裕次郎たちの前を通り過ぎ、それぞれの部屋へ入って行った。
そんな中、何も知らずそこに現れたのが、やはり新婚旅行でやって来ていたなかにし礼夫妻。
二人を見た石原裕次郎は突如立ち上がり「こっちこいよ」と手招きした。そして仲間たちに「こういう二人なんだよ、長く続くカップルっていうのは」と告げ、なかにし礼に「一緒に呑もうぜ」とバーに連れて行き酒をご馳走した。その席で石原裕次郎はなかにし礼に「流行(はやり)歌を書きな」とスカウトする。
なかにし礼が作詞家としてデビューしたのはその一年後。
本当にプロの作詞家としてデビューしたのだ。
きっかけは石原裕次郎。
ココ・シャネルが「シャネル」ブランドを築けたのはカペルという男性との出会いと別れがきっかけ。
また、ヘミングウェイはホテルのロビーで「人生で初めてのお酒を今夜飲んでやる」と泣き叫ぶ女性の声を聴く。何やら失恋したらしい。
そんな大切な酒なら俺に選ばせてくれといって、ヘミングウェイはホテルのバーへ連れて行き一杯の酒を奢る。この体験はその後の女性の人生に少なからず何らかの影響を与えたはずだ。
ちなみにそのお酒はカクテルで……「ブランデー・フィズ」。
私たちも大なり小なり、何らかのきっかけを先輩たちから贈られてきたはずだ。
だけど、最近思うことがある。そろそろ「きっかけ」を贈る側になりたいと。
名も知らぬ誰かが、自分の人生を振り返り人に語る時、「中村信仁という人に出会って……」云々と語られたら、なんだか幸せを感じられそうだ。
だから私は目指します。
誰かのきっかけになる行為を。