中村信仁 公式ウェブサイト
心が技術を越えない限り、決して技術は生かされない。

忘れてしまった数多くの「願い」に感謝を込めて

昨日、昔利用していたバス停の前をたまたま通った。
会社帰りとおぼしき四人が並んでバスを待っている。年の瀬の札幌。気温は氷点下とはいかなくとも一桁。皆、マフラーを首に巻き、暖をとるように小刻みな足踏みをしながらバスの到着を待っていた。

私がそのバス停を利用していたのは、もう35年も昔のこと。高校を卒業したばかりの私は、何を考えてか営業の世界に飛び込み、父親のお古のスーツを着て毎日会社へ通っていた。

朝早くから夜遅くまで、日々数字を追い続け、夜の10時を過ぎる頃には、最終バスに間に合うように、なんとか仕事を片づけて、そのバス停からバスに飛び乗って家路についていた。

あの頃は年末年始がいやだった。
「忙しい」というひと言でアポイントが消えていく。そしてなんとなく街中が愉しげで、ひとりぽつんと置いてきぼりを喰ったような孤独感に襲われていた。18才。同級生たちは大学や専門学校生で、クリスマスからお正月までを、とてもイキイキと満喫しているように思えた。

だからそのバス停から最終バスに揺られ家に着くまでの40分ほどのあいだ、人いきれでくもる窓ガラスを手の甲で拭い、にじむ街の灯をみつめながら「すごい幸せになってやる」といつも思っていた。

なにをそんなに悔しがっていたのか、今では思い出すこともなくなっていたが、たまたま昨日、懐かしいバス停の横を通り、忘れていたことさえ忘れていた、そんな昔の少しくすぐったい小さな記憶が甦っていた。

幸せになってやる、と願っていたあの頃の自分はきっと幸せじゃなかったんだと思う。
だって、今はそんなことまったく考えなくなったから。
考えなくていいことっていうのは、もうすでに叶ったことなんだ。
こうやっていつの間にか、私たちはすでに叶った多くのことを簡単に忘れてしまうんだろう。
今年にありがとう。
またきっと、今年もなにかを忘れたと思う。
でも、きっと叶ったんだ。
だから、ありがとう。

 

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