なかむら しんじ
中村 信仁
一般社団法人永業塾 塾長
株式会社 アイスブレイク 代表取締役
有限会社エスエーシー 取締役社長
日本自分史作家育成協会 代表
十八才で営業の世界へ入り早三十余年が過ぎました。誤解を覚悟で私は「営業とは神さまから選ばれた者のみが就ける職業」と表現し続けています。
もちろん職業そのものに貴賤の別はありません。自分の思いがその仕事を貴くも賤しくもするのだと信じています。
ただ、私は比較的敬遠されがちな「営業」という職業に就く皆さまにどうしてもエールを送りたくて永業塾という活動を続けています。
営業とは明日を信じる勇気のみではないでしょうか。そして、そうやって明日を信じるには心に灯る希望を失わないことなのでしょう。
希望は必ず勇気になり、勇気は力に変わります。まだ訪れてもいない明日を憂うことなく信じること……そう「必ず素晴らしい朝が訪れるのだ」と。
もし、心が折れそうになったら遠慮なく私に会いに来てください。その折れそうな心にガムテープを巻くお手伝いをさせていただきます。
折れそうになっても折れなきゃいいんです。それでも十分に歩き続けられます。一緒に営業の道を歩きましょう。歩いてりゃ必ずいいことがありますから。
Mission
営業から永業へ
営業活動を続けるにはもちろん技術が必要です。絵の描き方、歩き方、食べ方……とすべてに「方=型」があるように営業にも「売り方」はあります。
しかし、心が技術を超えない限り決して技術は生かされません。売るための営業から、お客様の問題解決をする永業へ、魂のステージを共に高め永業道を歩くことが、私たち営業の使命なのだと信じています。
医者という職業を選んだ人、医者という生き方を選んだ人、私たちはどちらに手術を任せたいか……。
教師という職業を選んだ人、教師という生き方を選んだ人、どちらに我が子を託したいか……。
お客様は、営業という職業の人、営業という生き方の人、どちらを自分の担当と欲してくれるか。
18才のオアフ島の砂浜で私は憧れの先輩に問われました。 「中村、お前は仕事として営業という仕事を選んだのか、それとも生き方としてこの道を選んだのか?」 その時は答えられなかった質問に今なら答えられます。この道が我が道だったと。
Upbringing
生い立ち
父和美(享年69才)、母和子(享年74才)の次男として1966年(昭和41年)北海道に生れる。
貧しかった幼少期より新聞配達、草刈り、砂利運びなどのアルバイトで家計を助け、高校生では喫茶店の厨房でカレーやミートソースの仕込み、玉ねぎの皮むき、鍋洗いなどをしてそのアルバイト代で学費を払い高校3年間を過ごす。
Gift from my parents
両親の訓え
「貧しいということは恥ではない、それを馬鹿にする者こそ卑しいのだ」と育てられた。 今も「お金」というものへのこだわりが薄く、「給料やギャラを高いとか安いと愚痴る前に、その金額に見合う仕事をしているか自分を見つめるべき」というのが口癖。